こんばんは、Ko-1Roです。
少し前の話題にはなってしまうのですが、
「2塁ランナーがバッテリーサインをバッター伝えるという不正をしたかどうかという問題」
私が野球をしていた20年近く前は、当たり前の行為でしたから、
あまり深く考えたことなかったですし、
例えば、インコースとかアウトコースとか伝えても、
キャッチャーの要求通りに毎回投げられる技術レベルの野球をしていなかったので、
あまり意味のない行為で、益とも害とも思ってませんでしたが。
これを機会に、考えてみました。
どうればいいのだろうかと。
ルールでは禁止されているが、不正をしたかどうかを見分けるのが、とても難しいのが問題ですね。
野球に限らず、どの競技でも、ルール範囲内を最大限利用して、ゲームを有利に進めることは、
賢さを身につけるという側面もありますよね。
でも、それで、強さを身につけることができるかというと、難しい気がします。
それで、目の前のゲームは勝利した、もしくは、その打席はヒットを打てたとしても、
本当に強くなれるかは、別で、勝ち続けることは難しいでしょうね。
社会人になって、コンプライアンスという言葉を覚えましたが、
これって、コンプライアンスですよね。
ルールを破ってまで得た勝利は、勝利ではない。
私たちの求めている勝利はそれではない。
そういう教育をしてこそ、解決されることではないでしょうか?
「コンプライアンス」は、企業では、法令順守として教わります。
英語の「compliance」を直訳すると「(要求・命令などに)応じること、応諾、追従」という意味になります(参照:weblio)。もともとは、「法令順守」という意味はなく、要求に追従というところから、法令に従うとなり、法令順守と訳されています。
「法的規則を守るだけ」がコンプライアンスだと書かれている場合もあれば、「法律以外の事項も遵守」するものだと書かれている場合もあります。
ここで、ブログの中の記事に戻すと、前者の「法的規則を守るだけ」は、ルールの範囲中で最大限プレーする。(ちょっと悪い言い方をすれば、ルールの範囲内では何をしてもよい。)後者は、ルールに書かれていない部分にも、要求に従うということになると思います。
私の使いたい意味は、後者のほうで、ルールは破っていないが、自分が守りたいもの、チームが守ろうとするものを破ってまで、試合に勝つことは、勝利ではない。
このような教育が出来れば、ルールの難しい問題は解決できるかもしれませんね。