4月30日、中日の松坂大輔投手が、日本球界復帰後初勝利をおさめました。 😆
(2006年9月19日のソフトバンク戦以来の4241日ぶりの勝利!)
〈松坂大輔投手のプロ所属球団、国際大会での主な成績〉
・西部ライオンズ(1999年~2006年、新人王(1999年)、)沢村賞(2001年)、最多勝(1999年、2000年、2001年)、最優秀防御率(2003年、2004年))
・ボストンレッドソックス(2007年~2012年)
2007年…日本人選手史上初・メジャー史上5人目となるメジャー1年目での15勝と200奪三振に到達。チームも12年ぶりの地区優勝を決める。ワールドシリーズ第3戦で日本人史上初となるワールドシリーズでの先発を果たす。日本人初のワールドシリーズ勝利投手となる。チームは翌日の第4戦に勝利してワールドシリーズ優勝を果たす。
2008年…日本人シーズン最多勝となる18勝を挙げる。チームも2年連続でのポストシーズン進出を果たす。
・ニューヨークメッツ(2013年~2014年)
・福岡ソフトバンクホークス(2015年~2017年)
・中日ドラゴンズ(2018年~ )
国際大会
2000年…シドニー五輪アジア最終予選に参加。台湾戦に先発し、1失点完投勝利を挙げて日本の五輪出場に貢献。
2004年…アテネ五輪。キューバ戦に先発。8回まで無失点に抑える力投を披露。9回に3点を失ったものの、五輪で初勝利。日本は翌日、カナダとの3位決定戦に勝利。10勝6敗の成績ではあったが、最優秀防御率のタイトルを獲得。
2006年WBC(第1回)…大会最多となる3勝、防御率1.38という成績をおさめ、大会のMVPに選ばれる。
2009年WBC(第2回)…第2ラウンド1組初戦のキューバ戦では、6回無失点の好投で2勝目を挙げる。準決勝のアメリカ戦では、4回2/3を2失点で3勝目を挙げる。日本は翌日の決勝戦で韓国を破って優勝を決め、最多勝の松坂が2大会連続で最優秀選手に選ばれる。(「岩隈くんに悪いなと思いました」とコメント。)
通算記録(2017年まで)
・NPB 108勝60敗1セーブ / 防御率2.96 / 投球回1403.2
・MLB 56勝43敗1セーブ / 防御率4.45 / 投球回790.1
輝かしい実績を残してきましたが、レッドソックスの厳しい調整環境の中で疲労とケガに苦しむこともありました。
ニューヨークメッツ時代のサブウェイシリーズ(ニューヨーク市内に拠点を置くチーム同士の試合)でとある一幕がありました。ヤンキースのイチロー(このとき腰を痛めて欠場)がクラブハウスで日本人スポーツジャーナリスト・石田氏に尋ねました。
「ダイスケ、どんなボールを投げてるの?」「スピードは?」「フォームは?」
イチローのたたみかけるような質問に、「かなり力のある真っすぐを投げてるよ」「92マイルは出てるんじゃないかな」「フォームは前とはまったく違うよ」と、石田氏は答えました。すると、イチローがひとこと、「へーっ、そうなんだ」と言いました。
クラブハウスのテレビで松坂のピッチングを見ていたイチローは、松坂のピッチングスタイルがあまりに変わっていることに驚き、松坂をナマで見たい衝動に駆られました。7回からダグアウトへ出てきて、松坂のピッチングを真横から見つめていました。そのことに松坂も気づきました。(3回3分の2を投げて、ソロホームランを1本打たれたものの、安定感あるピッチングを披露。)
試合後、松坂への想いを口にしたのは、イチローでした。
「大輔は、ただ投げている人ではない。アイツが背負っているものは何か、人と違うものがある。
常に、自分だけではない何かを背負っているでしょう。
大輔の性格や言動を含めて、僕なりに知っているところを分析すると、そういうことなんだろうなと……同じ選手の僕がそんなことを言うのも変なだけど、いい味つけができてきているというか、そういうことを感じさせるような存在になってきたと思います。
これは僕の推測に過ぎないんですけど、今は先発じゃないし、アイツの中に秘めるものが必ずある。
アイツのことを好きな人はそういうところが好きなんだろうし、もう一回、先発に戻ってバンバンやってくれたらね。
2年ぶりの大輔を見たら、今日、僕は(試合には)出ていないんだけど、応援したいというか、一緒に頑張りたいというか、そういう気持ちが今、特にします。なかなか同志という存在はいないんだけど、大輔はそういう意味で唯一の存在かもしれない……僕にとってはね。」
記録には残らない、2014年のイチロー対松坂。
〈松坂大輔の人間性〉
松坂大輔がメッツをFAとなった年、ソフトバンクは一気に交渉を進めました。そのとき、松坂世代のソフトバンク新垣は慣れ親しんだ背番号18のホークスのユニホームに別れを告げ、ヤクルトのユニホームを着て、新たな環境でプレーをしていました。松坂に用意された背番号は「18」。高校時代からのライバル・新垣がつけていた番号でした。このとき、ライバルであり、友でもある新垣を思い、背番号18をつけることに関して連絡を入れていました。
(松坂)「(18の背番号)つけさせてもらうよ」
(新垣)「他の人じゃなくて、大輔で良かったよ」
(松坂)「大事に使わせてもらうよ」
と言葉を返し、健闘を誓い合ったそうです。
「大輔は、ただ投げている人ではない。アイツが背負っているものは何か、人と違うものがある。
常に、自分だけではない何かを背負っているでしょう。」
そういう姿で、4241日(年数でいうと12年)ぶりの日本球界での勝利をおさめた松坂大輔。
「自分だけではない何か」を背負いながら10年以上の歳月を人知れず邁進したのは、松坂大輔だけではないと思います。このようなひとがこの世界にいる。ということなのかなあと思います。
野球映画の名作と言われている『フィールド・オブ・ドリームス』の一幕。
「ここは天国かい?」
「いや、アイオワさ」
「天国のようだ」
「天国は存在する?」
「ああ……夢の叶う場所さ」
「じゃあ、やっぱりここは天国かもしれないな」
『Re』のひとりひとりも、「自分だけではない何か」を背負いながら、夢を叶える野球を目指します!
松坂大輔と同じ地で!!!
(出典):Wikipedia、文春野球コラム ペナントレース2018 by竹内茂喜、初対決から15年、イチローと松坂大輔がともに背負ってきたもの by石田ゆうた、(livedoor news)松坂大輔がソフトバンクで着ける18番に「松坂世代」のドラマ